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お客様からのお便り

担当コンシェルジュ : 水田 壮彦
【2011年6月4日[Sat] ご出発】 海外

Tさん Kさん Oさん ウィーンオペレッタの旅

序章
グループ名は未だない
。しかしながら、3年前から毎年4夫婦で旅行をしている。
2010年は、遷都1300年の奈良を中心に、
女高野の室生寺等を訪れた。
夜の会席の席上で、玉田夫人が
「高校時代の友人がウィーンに在住し、
翌年の3月に帰国することに なったので、
帰国前の12月にウィーンに遊びに来ないかとの
誘いがあった。行くのを楽しみしているの。」との発言があった。
この発言を機に翌年の旅行計画について、
各人の意見が続発した。
6月頃に残りの7人の旅行をオーストリア・アルプスが
良いなとの意見で纏まったが実現は未確定であった。
また、折角ウィーンに行くのなら、
フォルクスオパーのオペレッタを鑑賞するのかな。
等の意見があった。
12月は、ウィーン国立劇場のオペラを鑑賞するとのことで
話は終わったが、念のため、フォルクスオパーの
プログラムを入手することをお願いした。
玉田夫人がウィーンから帰国後、国立劇場の演目は、
ベルディの「仮面舞踏会」で素晴らしかったことと、
フォルクスオパーの3月から6月までの
プログラムの情報を得た。
玉田氏が12月に出張の途中に茨城地区に立ち寄り、
懇親と翌年の旅行計画について確認をした。
しかしながら、旅行会社のツアーには我々の旅行案に
マッチングするものは無かった。
インターネットで海外ツアーを検索していると
WEBトラベルの記事があったので、
参考意見を求めるつもりでアクセスした。
水田さんをはじめ4人の方より提案があった。
4人の方の提案より、我々の求めるものに近かったのが
「水田さんの提案」であった。
暮れに基本的に契約することで合意した。
夫人が既にウィーンに旅行され、
迷っている玉田氏を除く3夫婦で申し込みをしたが、
玉田氏も行きたいとの意思が固く追加 申し込みをした。
その後、各人とのメールでのやり取り、]
そしてフォルクスオパーのチケットの入手等
着実に手続きが進んだ。
3月9日、玉田氏以外の男3人で会食をしながら
最終打合せをおこなった。
翌々日あの東日本大震災があり、若干の被災があった。
水田さんから「被災見舞い」メールがあり、
各人にウィーン旅行を確認した結果、
全員行く意気込みのメールが返信された。
オペレッタを初めて鑑賞するので、
事前勉強会として、
メリーウィドーの古いVTRの貸出、
そして、5月の初旬、全員が幹事宅に集合、
もちろん玉田氏もグッドタイミングの出張で合流し、
勉強会やら飲み会やらで
あっという間の5時間を過ぎてしまった。
約1週間前にWEBトラベルより、旅行関係書類が到着。
最終旅程表、Eチケット、鉄道のチケット、
マリオネットのチケット等など。
第1章 プラハにて
約6カ月の準備期間も過ぎ、成田での両替、
玉田さんと合流siして出国、
ルフトハンザの飛行機に搭乗までは順調にいったが
緊急着陸の飛行機があったため、
飛び立つ時刻が30分ほど遅延した。
フランクフルトのトランジェットに余裕があったはずであったが、余裕なし、税関の列も途中から割り込みヤット入国。男どもは、成田で購入した「高級日本酒」を慌ただしく胃袋に入れ、
プラハ行きの飛行機に搭乗し、
約2時間後にプラハに到着した。
荷物を受け取り、出口に向かうと
チェコ人の笑顔のマルガリータさんが声をかけてきた。
とうとう「ウィーンナオペレッタの旅」始まりである。
運転手と荷物を詰め込み、ホテルに向かい出発、天気も上々、風景も町並みも異国情緒たっぷり、
その中でマルガリータさんが流暢な日本語でプラハでの
注意事項やら旅程の説明があり、全員頷きがら聞き入った。
国立歌劇場を過ぎ、国立博物館を右に曲がって
ヴァツラフ広場に入った。目の前には左右に古めかしい
建物の町並み、そして色鮮やかな花壇と人だかりの中を
進んでいった。ヴァツラフ広場のほぼ中間位置の
「ヤルタホテル」へ到着、荷物を降し、
マルガリータさんの指導でチェックイン。
お薦めのレストランを聞いてから集合時刻を決めてから、
各自部屋に落ち着いた。
束の間の休息をとってからロビーに集結して、
7人は漫ろ歩きで国立歌劇場から国立博物館へ。
国立博物館の入り口からバツラフ広場を見下ろすと遠景に
夕日にけぶるにプラハ市街を臨んだ。
そして、マルガリータさんに教えてもらった
「列車が回っているレストラン」に入ったがほぼ満席で喧騒状態。係の人と会話(?)したが意味がお互いに通ぜず不成立。どうも7人の席は用意できないようであった。
諦めてレストランを出た。
言葉も判らないので虚しくヴァツラフ広場の周りを漫ろ歩き、
ヤルタホテルの1階カフェも賑わっていた。
寝不足から来る疲れもあったので
我々もカフェの奥のレストランに座った。
男性陣は念願のチェコビールを女性陣は何(?)ジンジャーを注文。食事を2人前ごと頼んだ。待っている間に景色は暮色になり、カフェの客は遷り変っていった。会話も成田からのプラハまでの行程、町並みや明日以降の旅程について止めどなく進んだ。ビールをお替りし、食事も終り、 明日の食事時間を
決めてから各部屋に散会した。
風呂に入り、ベットに入っても旅の興奮と寝不足から
なかなか寝付かれなかった。時々部屋の外の
ヴァツラフ広場から大声や叫び声が聞こえてきた。
カーテン越しに広場を眺めると照明が灯され、
数人グループの酔っ払いが歩いていた。
初日の事柄を反芻しながら眠りについた。
そして第1日が終わった。眠ったと思ったら
ヴァツラフ広場の対面のホテルの上階に朝日が掛かり朝の白々が始まり、ゴミ収集車、パトカーの音そして人の喧騒が
聞こえてきた。顔を洗い、身支度を整えてから、
集合時間の7時になったので1階レストランに行った。
北川さん夫妻、玉田さんは、
朝の散歩をしてきた様子。バイキング方式の食事をしてから、マルガリータさんが来る9時までの行動の打合せをした。
北川さんの案内でホテルの対面のショッピング街を散歩。
モールになって両側には、土産店、化粧品店、
ファッション店などがあった。
突当りの吹き抜けは天井から馬が逆さに吊るされ、その腹には兵士が乗っているモニュメントがあった。また、
2階はカジノになっているなど珍しい光景であった。
モールを出て市街地に出て。トラム沿いに歩くと前方遠くに
火薬塔がに聳えていた。9時になるので一旦部屋に戻り、
準備してから1階のロビーに集合。
既にマルガリータさんがにこやかに待っていた。
朝の挨拶をしてから行動開始。天気は、雲ひとつない快晴、
青空に映えるヴァツラフ広場を過ぎて、
朝市を小一時間見て回ってから旧市庁舎広場に行った。
時計台の前には、欧米人に混じって中国人、韓国人が
大勢群がっていた。マルガリータさんから時計の由来と
人形の動き等に丁寧な解説があり、
又「1348年がキーワードよ!」とのこと。
広場の周りの建物を鑑賞しながらプラハ城に向かった。
途中に教会があり日曜ミサのため扉が閉まっていた。
入口には、午後のコンサートの張り紙があった。
そこからカレル橋に向かった。その直前の石畳がプラハで
一番古いとのこと説明があった。
その横の教会の扉が開いていたので、
マルガリータさんは覗いて入れるか確認し呼んでてくれた。
信者の方は帰ってひっそりしていた。
中には、年配のおばさんが一人いた。
日本人と判ると日本語の説明書でマルガリータさんの通訳で
説明して頂いた。教会の内部を詳しく見せて頂き且つ説明してもらった。教会は「アッシジの聖フランシス セラファン教会」で世界的バロック建築であった。カレル橋の凱旋門を通り
橋上の人となった。お土産売りや大道芸人や観光客で
既に人だかりであった。欄干の聖人の説明があり、
8番目の聖人(聖ヤン・ネポムツキー)のレリーフに触ると
ご幸福なるとのことで輝いていた。
我々も順次触り幸福を頂いた。手風琴弾きがCDを売っているのが気にかかった。橋を渡り終える頃、プラハ城(旧場内)の門の上に衛兵が立ち10時を知らせるラッパが吹かれた。
衛兵は回れ右をして後方を向いてラッパを吹いた。
遠くから返礼のラッパの音が聞こえてきた。
門を潜り抜けると緩やかな石畳の坂道が続いていた。
坂道の両側には、ブテックや土産物店そしてカフェが
軒を並べていた。軒上には店の屋号を表す飾りが
掛けられていた。マルガリータさんは、「プラハ城内の教会は
日曜ミサのため一般の人は入れないので
時間合わせをしましょう」と言い、大使公邸などのある
瀟洒な左側の路地に誘導した。
仄かな香りを放つ小灌木が立っていた。
マルガリータさんは、それは菩提樹であることを教えてくれた。菩提樹は新しい葉の中から花の穂を出している等
教えてくれた。大使館や音楽学校が並ぶ路地を経て
プラハ城へ続く道に戻った。ひと際目立つイタリヤ大使館、
古めかしいカフェが並んでいてそこには老若男女の
プラハ市民や観光客が座って飲み物を飲んでいた。
プラハ城に近い急な坂道を避け遠回りして周りの景色を
堪能しながらプラハ城に着いた。城壁から市街を見下ろすと
そこはお伽の国さながらで、オレンジ色の屋根瓦の波と煙突の林が見えた。ヴルタヴァ川はうねり橋が何本もかかっていた。
カレル橋は人々が蟻のように群がっていた。また遠くの町並みにもドームの聖堂やゴシック建築の教会が見えた。正門前には観光客がカメラを構えて待っていた。
時は丁度12時衛兵の交代セレモニーがあった。
コツコツと小気味よい足音がし、
当番兵の前で支え銃トントンでまた構え直して
衛兵が入れ替わり、去っていった。
聖ヴィート大聖堂はミサで閉まっているので、
1348年の歴史の説明を聞きながら黄金の小道や
貴族の館・牢獄を見学した。
時間合わせもあり昼食のカフェに案内してもらった。
カフェには大男のウェーターがににこやかに迎えてくれた。
市街を眺められるバルコニーに席を取り、女性陣は日陰の席男性陣は欄干側に座った。女性の飲み物は色つきのドリンク、男性陣はもちろん木目細かな泡の地ビールで午前中の渇きを一気に潤した。バルコニーにそよぐ風と隣の席から聞こえる日本語以外の声そして下に広がる赤レンガの屋根の波、
世界遺産の中のカフェ「ロブコヴィッツ」(今もロブコヴィッツ家が住まわれている)で異国情緒を堪能した。
昼食を終えプラハ城聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの裏側を眺めながら表入口に辿った。大聖堂の内部に入ると正面には礼拝壇と十字架、左右にはステンドグラスが厳かな光を映し出していた。左側のステンドグラスはチェコの人間国宝のようなミュシャの作品であった。
マルガリータさんの説明には熱がこもっていた。大聖堂の静寂(?)から一歩外に出ると王宮2階バルコニーから衛兵交代のラッパのファンファーレが鳴り響き、合わせて衛兵の行進が向って来た。間近なのでシャッターチャンスとばかりに撮影した。プラハ城から降りて白孔雀のいた公園を見て、ヴルタヴァ川を渡りユダヤ人街、旧市庁舎をを巡りお土産店(ボヘミヤングラス)を経てヴァツラフ広場に戻りヤルタホテルに辿りついた。
(歩行距離:約22000歩 ご苦労様でした)マルガリータさんと明日の打ち合わせをして、各自部屋に戻り荷物を置いた。
「るるぶ」に紹介のあったレストランを北川さんが朝の散歩で
確認していたので北川さんの道案内で行くこと約15分、
プラハ観光の疲れから大分遠く感じられた。
レストランは「ウ・カリハ」。チェコビール特大と女性陣の飲み物と名物の肉の煮込み、北川さん要望の白アスパラガス料理などを注文。飲み物が揃ったところで乾杯。ホップの利いたビールが五臓六腑に浸みわたるのが判った。料理がテーブルに
並べられたところで厳ついおじさんに頼んで記念写真。
肉が切り分けられ、各自自分の皿に載せを
本日の旅程の回顧と案内人マルガリータさんのことなどを雑談しながらの夕食であった。とは言えちゃっかりビールのお替りをする人がいた。チェックの時 コースターをおねだりする人もいた。約30分間を必死に歩きやっと
国立マリオネット劇場に到着。
中央の席に座ったが観客は疎らであったが、時間前には
6割位の席が埋まった。中国人らしい集団は少し騒がしかったが、日本人の観光客はおとなしかった。
人形の指揮者が登場し「ドンジョバンニ」の序曲が始まった。
ドンジョバンニ、騎士長、ドンナアンナ等の人形が登場し音楽に合わせて見事に演技、傍ら、「ウ・カリハ」のビールが
効いてきたのか、男どもの首が音楽にあわせて
上下左右に動いていた。所々で人形の指揮者は
ハチャメチャな演技をしていた。カーテンコールは人形と人形師も登場し盛大な拍手でお開きとなった。外は日が落ち、
旧市庁舎広場はライトアップされ尖塔は夜空に浮かんでいた。相変わらず広場には多くの観光客が屯ろしていた。ヴァツラフ広場は明るくホテルのカフェにも人影があった。
明日の日程の確認をして各部屋に散会した。
翌6日、本日も晴れ。朝食後12時00分にマルガリータさんが
迎いに来るまでの自由時間に、お土産を買いに行く組、
国立博物館に行く組と別れた。スーパーで列車の旅の食料品を買い出しをしてからホテルに戻りチェックアウトしてロビーで
待っているとにマルガリータさんがにこやかに登場した。
荷物を車に詰め込み、プラハ駅に向かった。
プラハ駅はドーム状の駅舎で歴史が感じられた。
出発前にキヨスクで昼食の飲み物(もちろんビール)を
購入した。マルガリータさんが紙コップを調達してくれた。感謝感謝。マルガリータさんの案内で指定の車両の乗り込んだ。
コンパートメントに3家族が入り、
玉田氏は後の大男が坐っているコンパートメントに
一人ポツンと座ることに事になった。
荷物を棚に乗せるなど慌ただしい中、列車の外で待っている
マルガリータさんとの別れの挨拶する間もなく、
列車はウィーンに向かって出発した。
マルガリータさんごめんなさい。デェクイ!
第2章 ウィーンにて
 (2-1)プラハからウィーンにそして除夜と第一日目
国際列車はプラハからウィーンに向かって一路進んだ。町並みが直ぐなくなり、緑なす畑と牧草地、
そして小さな村の集落と教会と思しき尖塔が後ろに飛ぶように目の前から消えていった。一息ついたところでプラハで調達した昼食を摂る段で隣のコンパートメントの玉田氏を呼んで、
6人掛けの席に7人の大人が坐っった。
男性陣は何時ものごとくビールで乾杯。
女性陣はジンジャーで合わせて乾杯。チェコ製チーズとハム、パン、そしてヤルタホテルの廊下に常備されていた「青りんご」等を食べながら、プラハでの思い出を語り反芻した。
胃袋も落ち着くと女性陣は国際列車の食堂車に移動し
カフェを楽しんだ。進行方向は何となく西に向かっているように思ったが地図上では南下していた。
車窓は地平線まで続く牧草地、畑、小さな村と教会と遷り変り、検札もなくチェコからオーストリアに国境が変わった。とは云えどこか大きな駅で乗務員が入れ替わった。男性1名と背の高い女性、低い女性の2名の車掌が乗り込んできた。また、深い森と小さな川沿えを走った記憶が、小さな湖も視界から流れて行った記憶が、ビールを飲んでほろ酔い気分で
まどろみ車窓を眺めているからかな?やはり国境を越えると村々の景色や雰囲気が異なってきた。
ウィーンに近づくと列車のスピードが急に落ちた。そうこうしている内に列車が止まった。線路沿いに線路の保線員のようなおじさんが列車に歩み寄り、背の低い女性と
のんびり会話をしている。何事があったのかの車内放送もなく数十分が過ぎて行った。
ウィーン・メイドリング駅で待ってくれている
「能代」さんはどうしているのかなとの心配が心の中を
過ぎった。列車が動き出したら直ぐ駅舎のプラットホームに
着いた。ウィーン駅 構内で臨時停車していたのだった。
列車から降りるとイケメンの日本人とオーストリア人が
待っていた。能代さんは「お疲れ様」と声をかけて、
荷物を持ちながら車が駐車している構外まで誘導してくれた。能代さんは車が出発すると、列車の一時停止は落雷による
停電であることとウィーンについての注意事項を説明してくれた。特にウィーンカードの取り扱いについて解説された。
目的のラートハウスパルクホテルに着くとチェックインの
指導をして頂き、明朝からの予定の説明とウィーンカード、
オペレッタのチケットを渡され、
ウィーンのガイド白倉さんが明日9時にロビーに来ることを
話された。夕食のレストランを紹介してくれるようにお願いすると「アウグスティナーケラー」の所在地をドイツ語の
観光案内地図で教えて頂いた。ロビーへの集合時間を決めてから各部屋に分かれた。荷物を降し、
ほっとしたところで部屋が蒸し暑いので窓を開けた。
部屋にはエアコンはなく、窓は2重窓になっていた。
冬の寒さ対応はされているが
夏は比較的過ごしやすい都市構造の現れと思った。
定刻になったので1階のロビーに集合した。
20時なのに空は明るかった。
地図とコンパスを片手に目的地に向かった。
ウィーン大学の横を抜けリンク通りにでた。
市庁舎を横目に見て反時計方向に歩いた。
王宮が見えてきたのでフォルクス庭園に入り、
カール大公騎馬像の脇を足早に過ぎ、
王宮の吹き抜けを抜けて国立オペラ劇場方面を目指した。
空は夕闇が忍びより町並みの建物がライトアップされて
夜空に浮かび上り、教会の尖塔は輝いていた。

国立オペラ劇場の後姿が夕闇の中見えた。
道路の右側のカフェの庭のテーブルには蝋燭が灯り人々が
夕食を楽しんでいた。カフェの看板を確認すると
「Augustinerkeller」と描かれていた。

地図とコンパスで目的地に無事到着。
後は度胸でカフェの中に入り、ウェーターの案内を待った。
やや待つとウェーターが遣って来てドイツ語で
何やら訊いてきた。多分何人かと訊いたと解釈し、
指で7を示し「セブン」と応えた。
ウェーターが先導し奥の席に案内された。
さらに奥にはアコーディオンを弾きながら歌っている
「吟遊詩人」と思しきおじさんが居た。
飲み物の注文が来た。もちろん「白ワイン」を注文。
そして料理は、庭のテーブルでウェーターが客席に運んでいた美味しそうなケラー自慢の「肉料理」と野菜料理等その他
もろもろ。ワインはクーラーに入れて持ってきた。
女性陣の飲み物も持ってきた。
先ずは乾杯と記念写真をパチリ。
骨付きの塊肉の料理が運ばれてきた。
コンダクターが肉にナイフとフォークと突き刺し食べ易く
切り分け、全員で賞味した。料理とワインと今日までの
3日間の旅程と思い出を噛みしめた。
吟遊詩人は、隣の席に移って来て更に大きな声で歌っていた。我々の席が話で盛り上がっていたのでこちらの席には移らず隣の席で話していた。客席も徐々に空席になり、
料理とワインも無くなったのでチェックをしケラーをでた。
右側には国立オペラ劇場がライトアップされ夜空に浮かんで
いた。リンク通りを時計回りに廻って帰ることにした。
心地よいウィーンの夜風に当たりながら漫ろ歩きをした。
右側に王宮が浮かび上がり、左側に国会議事堂が
浮かび上がりそして遠くに教会の尖塔が夜空に浮かんでいた。ウィーン大学の角を曲がりラートハウスパルクホテルに
到着した。明日の朝食の時刻を確認し、各部屋に別れた。
風呂に浸かり、一日の疲れを癒してベットに着いた。

車の通る音で目が覚め、
隣に寝ていた奥さんも眼を覚ましていたので、
5時に起きて朝の散歩をすることにした。
市庁舎を過ぎ、王宮に向かった。
フォルクス庭園はバラが整然と植え付けられ色々な花が
咲き乱れていた。バラ愛好家の奥さんは
ゆっくりとバラの花と香りを鑑賞した。
時折、早朝ランニングの女性や、
犬を連れたご婦人の散歩する姿があった。
白み行く王宮を眺めながら、
昨夜通った道とは別ルートで国立オペラ劇場の前に出た。
帰りはリンク通りの市電に乗ることにした。
停留所で ウィーンカードのチェックボックスを探したが
見つからなかった。路面電車が停留所で止まり乗り込み、
運転手にウィーンカードを見せると
後ろを指差した。丁度中間の乗り口の所に能代さんに
教えて貰ったウィーンカードのチェックボックスを見つけた。
カードを差し入れチェック、時刻が打刻され
以後72時間乗り放題となった。
市電はリンク通りをゆっくりと走り、
王宮前に指しかかったので降車の釦を押し市電は停まった。
カードはノーチェックだった。
ブルク公園に入ると芝生のキャンバスにト音記号が
ベコニアの赤い花で描かれていた、
その先にモーツアルトの像が優雅に立っていた。
公園を抜け、ギリシャ神殿風の国会議事堂と市庁舎を過ぎ
ホテルに無事帰着した。
 9時にロビーに行くと中年の日本人女性が声を掛けてきた。白倉さんであった。自転車に乗ってきたとのことで汗を拭き、
予定表を 見ながら本日の行程の打ち合わせをした。
路面電車と地下鉄と足で観光し、17時帰着を確認した。
「あこがれのウィーン」へレッツゴー。
早速、ウィーン大学の脇を抜け地下鉄に乗り、途中下車、
国立オペラ劇場を正面から眺め、
次にウィーン楽友協会ホールを見て、
更に地下鉄で西南に向かった。
シェーンブルンに到着、降車して数分歩くと観光バスが
並び多くの観光客がいた。シェーンブルン宮殿が
眼の前に両翼を広げていた。
門を入り左側のキオスクに案内され、
白倉さん推薦のミネラルウォーターを購入した。
宮殿見学時刻は11:00とのことで見学口10:50分集合を
決めてから、広々とした庭園を約40分間の自由行動とした。
庭園に一歩踏み出すと真っ青な空の下、
左右にシンメトリーな広々とした朱色のベコニアと
マリーゴールドのお花畑、その左右に、
生け垣と林が広がっている。
数百メートル先の正面にはネプチューンの泉、
そして小高い丘の上にはあずまや風のグロリエッテが
眼に飛び込んできた。
ネプチューンの泉まで全員で往き散会した。
広大な庭園には、動物園や迷路公園、
そしてローマ風の廃墟等があったが時間的に
見ることはできなかった。
ネプチューンの泉から宮殿を臨むと、
左右にベコニアとマリーゴールドのお花畑、
その先に両側の翼を広げた形の宮殿が見えた。
京都御所の風靡な佇まいとは異なり、
ハプスブルグ家の強大な権力と栄華が偲ばれた。
宮殿に向かっていくと音喜多夫妻が
仲睦まじく歩いているのが見えた。
奥様が宮殿のバルコニーへの階段を上りポーズをとって、
旦那さまがデジカメでパチリ。
左側にはバラ園になっていて今が盛りと咲き乱れていた。
集合時間前に、リュックをクロークに預け見学口に集合した。
11時一寸前に白倉さんの誘導で宮殿内部を見学、燦然と輝く黄金の部屋べや、そしてテーブルや椅子、調度品、
壁に掛かった額縁の肖像画、ゴブラン織り等など豪華絢爛
そのものであった。時間の関係から見学を割愛するものも多くあった。この次来る時は一日掛けて見学するぞと思った。
地下鉄に乗りリンクに戻って昼食時刻。
白倉さんの案内でカフェ「モーツアルト」の中に、
キチンとした身なりの老人が片隅のテーブルで
一人寂しく食事を摂っていた。白倉さんお薦めの
「にわとこの花のエッセンス」ドリンク、男性陣のビールと
ウィーン名物の「シュニツェル」を頼んだ。
ウェーターが案内書に記載されているように「わらじ」の様に
大きな牛肉カツレツを持ってきた。
若干持て余し気味であったが、
ウィーンのカフェの名物を賞味した。外に出ると
パラソルのテーブルでは談笑している客がたくさんいた。
炎天下の中ケルントナー通りをリンクの中央に位置する
聖シュテファン寺院に向かって歩いた。
両側には有名ブランド店等が並んでいた。
二つの尖塔があるゴシック様式のシュテファン寺院が
目の前に現れた。右側の尖塔は修復中のため
途中まで尖塔の形状を描いてある
覆いの中に隠されていた。
チケットを購入して寺院の中にはいった。
薄暗い中に高いドーム天井そして
十字架の磔刑姿のキリスト像が吊るされていた。
更なる奥にはベールに隠された祭壇が見えた。
壮大なパイプオルガン、手の込んだ説教壇、聖人の像、
色ガラスから滲み来る怪しい光線の中に木の椅子が
何列も並んでいる。あちらこちらで高校生らしき団体、
お上りさん的集団、外国からの観光客が粛々と見学していた。

ざわめきの中の静寂という奇妙な空間から太陽の輝くウィーンの街角に出て国立オペラ劇場に向かった。
国立オペラ劇場横入り口で開場時刻まで待った。
ここで白倉さんとはしばしの別れとなった。
時刻になると入口の扉が開きロビー入った、
そこには多くの観光客が言語毎の列に案内され並んだ。日本人観光客は我々を含め約20人。
国立オペラ劇場専属ガイドが来るまでの間、
各々のデジカメで伯爵・夫人のオペラ衣装に顔を載せて
記念写真パチリ。三十路のウィーン女性が現れ日本語で
ガイド開始、赤い絨毯の階段を上りマーラー、カール・ベーム、カラヤン等の名指揮者のレリーフのある部屋、
皇帝の控えの間等などを流暢な日本語で解説、
そして燦然と輝くシャンデリアのある中央客席に
座らせて頂いた。この席で「フィガロ」を鑑賞したら
素晴らしいだろーな!と思いつつ。
圧巻は今晩の演目の準備をしている舞台に案内して頂いた、奥行きが広くトレーラーで直接舞台まで運び込む
スケールの大きさにびっくり、舞台袖から大道具さんが今夜の演目の準備を着々と進めている姿に感心していると大道具さんから邪魔になるからとの声がガイドさんに
ありアタフタとロビーに戻った。
専属ガイドさんに感謝の拍手をして解散、
白倉さんの待っているロビー脇に行き、
白倉さんの案内でトラムに乗り美術史博物館に向った。

今夜のフォルクスオパーの開場時刻を考慮して
見どころの作品だけを案内して頂くことで、
荘厳な石造りの建物中に入った。色々な部屋を残念ながら
割愛パス、そしてスペインのベラスケスの部屋、
フェルメールのあの絵画、ブリューゲルの部屋等
じっくり鑑賞したり、飛ぶように眺めたりしてあっという間に
午後5時30分、後ろ髪を引かれる思いでホテルに帰着。
白倉さんんと明日の予定を打合せ、各自部屋に
戻りシャワーを浴びて身支度を整え、ロビーに集合した。

約2万歩を歩いたので、タクシーを呼び
フォルクスオパーに直行。外見の見栄えは
国立オペラ劇場より見劣り、更にロビーも今一歩、
大衆劇場の薫りプンプン。一歩客席に入ると客席シート、
2階のコンパート席も朱色でと統一されていた。
残念ながら演目がオペレッタではマイナーな
オスカー・シュトラウス作曲の「愉快なニーベルンゲン」で
人気今一のためか客席が8割程度、我々の席は
オーケストラピットの前の一等席で舞台も歌手も丸見え、
演奏も合唱も歌声も良かったが、
何故かオペレッタに酔えなかった。
観客も同様な反応で、幕間の休憩時間のロビーの雰囲気も
盛り上がらず2幕目そしてカーテンコールと
若干消化不良気味でフォルクスオパーを出た。

フォルクスオパーの脇のカフェーに入り、女性陣はケーキを男性陣はビールを頼んだ。注文したものは直ぐ持ってきたが頼んだ夕食のメニューを閉店まで持ってこない。
残念ながら夕食を諦めた。外は雨が降っていたのでタクシーを頼んでホテルに戻りロビーで明日の打ち合わせをして
各部屋に解散した。ウィーンの薫りを噛みしめ眠りについた。
 (2-2)ウィーンの第二日目とザルツブルグへ

小雨に濡れた路面を走る車の音で朝5時に目が覚め起床、
約30分後に市庁舎の中庭を散歩、
尖塔のある中央棟の3階に張り出したバルコニーには
朱色のベコニアが飾ってあった。早出の市職員が数人、
各棟の入り口から吸い込まれて行った。
覗くと階段も赤い絨毯が敷かれていた。出口の門衛に
朝の挨拶「グーテンモルゲン」を交わして市庁舎から
パルテノン様式の国会議事堂の玄関を見学していると、
機動隊と思しき警官、パトロールカーが
脇の道路に待機していた。王宮でサミット
(日本は不参加とのこと)がPM2時頃まで開催されるための
警備であることが後ほどの白倉さんの説明で判った。
公園の中道を散歩しホテルに帰着し、
朝食を摂り9時前にロビーに集合。9時に白倉さんが到着。
本日は雨模様なので路面電車で来たとのこと。
昨日、予約していたタクシーが到着。
2台のタクシーに分乗してザンクト・マルクス墓地に向った。
レンガ造りの門でタクシーを降り、緑なす墓地をゆっくりと
上った。丁度桜の木にはさくらんぼが実っていた。
アメリカンチェリーに似たサクランボは、旨くなかったが佐藤錦に似たサクランボは甘く旨かった。
松と桜の茂る一角にモーツアルトの墓がひっそりとあった。
墓の前の花壇にはベゴニアの赤い花が咲き乱れていた。
モーツアルトが埋葬されたが どこの場所か未だ
確定されていないが一応現在の位置とされている。
小一時間感傷に耽りタクシーの待つ門に戻った。

再度タクシーに乗り込み中央墓地に向った。
中央墓地は芝生が敷き詰めれて中央に
ドーム天井のカール・ルエガー教会があり、
まるで公園の様であった。白色の石が
基調で様々な形の墓があった。特に名誉地区にはウィーンの著名人の墓が立派に飾ってあった。
目的の第32A区は、ベートーベン、シューベルト、
ブラームス、シュトラウス家族、スッペ、等など
ウィーンゆかりの音楽家の墓があった。
白倉さんの案内で「サリエリ」の墓を見学した。
解説ではアメリカ映画「アマデウス」が封切られる前は
ひっそりしていたが、その後、
有名になって観光客も立ち寄る様になり墓の文字は
金文字になったとのこと。
路面電車で中央墓地駅から一駅ウィーンに向って戻り、
中央墓地を斜めに走る街路樹並木を眺めた。
そこはオーソン・ウエルズの「第三の男」に
撮影された長い並木道、生い茂った並木が直線に
約2km続いている不思議な空間であった。
路面電車に乗りウィーンの街中に向った。
青空が次第に広がり快晴になった中、
市街地に入ると騎馬武者像や歴史的建造物が
目の前を横切って行った。路面電車を市立公園でおりて
ヨハン・シュトラウス像に向った。
市立公園には小学生低学年が郊外学習らしく賑やかであった。目的のヨハン・シュトラウスⅡの有名な像は
修理中のため囲いで覆われていた。
その脇に代理ヨハン・シュトラウスⅡの像が表彰台の
第2位の壇の鎮座していた。第1位の壇に女性陣、
第3位の壇に男性陣が乗って記念写真をパチリ。
綺麗に飾りつけられた花時計の奥に白亜のクーアサロンの
建物が輝いていた。路面電車に乗りリンクを時計回りして、
国立オペラ座の前を過ぎブルク公園で降りて、
入道雲の沸き立つ夏空に映えるモーツアルト像に再会した。

一駅戻って国立オペラ劇場前で降りて事前予約していた
カフェ「PLACHUTTA」に入った。
ここでも白倉さんお薦めのキノコ料理二種を希望により注文。ビールと「ニワトコエッセンス」ドリンクが来たところで乾杯と
記念写真撮影。キノコ料理は、キノコと卵とじ、
もう一方はキノコとビーフ料理の組み合わせで
どちらも美味しかった。窓の外の路上のテーブルの様子が
急変。風が出て、雨が降り出し豪雨になって来て
雨に濡れそぼった客が入口に溜まってきた。
この状況では外にでてもしようがないので、
改めて「ウィーンナコーヒー」を注文。
雨が弱まるまでゆったりと生クリームホイップの載った
「ウィーンナコーヒー」の由来を拝聴しながら堪能した。
石畳の道路は水が吐けず溢れる中を人々は歩いていた。
小降りなった頃合いを見てバス停まで歩き、
バスに乗り聖シュテファン寺院前で降りた。
中世に猛威を振るった死神病ペストの記念オベリスクの脇を
過ぎ王宮に向った。
王宮はサミットがあったため、裏側からの入門となった。
王宮では銀器などの宮廷コレクションや陶磁器のストーブの
ある黄金に輝く部屋、大きな 肖像画のある部屋等などと
「シシー・ミュージアム」をオーディオガイドで案内された。
栄華を誇ったハプスブルグ家の華やかな王朝文化と生活と
そして栄光と衰退を垣間見た。
急ぎ足で見たので消化不良の感あり、
白倉さん待つミュージアムショップで全員落ち合い、
ウィーン土産を買うためデパートに向った。
デパートでは女性陣主導で整然と並んでいる棚から
ウィーンで日常嗜んでいるジャムやはハーブティー、
ニワトコの花のエッセンスそしてヒマラヤの塩を購入した。
国立オペラ劇場前から路面電車に乗りホテルに到着。
白倉さんに2日間のガイドの案内の御礼をして各自部屋に
戻った。シャワーを浴びて身支度を整え、
本日は路面電車でフォルクスオパーに向った。
開場前にフォルクスオパーに到着。
玄関前には正装した紳士・淑女が大勢屯ろしていた。
昨日の雰囲気とは可なり違うなと感じた。
そしてこうでなければならないと思った。
本日の演目は「メリーウィドー」。
そうそう今回の「ウィーンナオペレッタの旅」の目的
オペレッタである。1979年、東京で初めての
フォルクスオパー引っ越し公演を観てから3度公演を観た。
その中でも「メリーウィドー」「コウモリ」「ウィーン気質」は
白眉であった。当時の新聞の演劇批評で彼の名音楽批評家「吉田秀和」作曲家「林光」が木戸銭を払うとはこのようなことかと絶賛した公演であった。小生としては最大の目的であった。

と言う訳で期待に胸を膨らませて席に着いた。
席は左側の第1列4席と第2列3席、
ジャンケンで席を決めて坐った。当初、席を8列位の中央に
お願いしたが取れなかった経緯があった。
玉田さんの隣の席は正装した妙齢の可愛らしい女性とその両親であった。折角隣り合ったので金髪の奥様と玉田さんの
記念写真を北川さんが撮った。
旦那さんは心配そうであったので
家族写真も合わせ撮ったので安心した模様(?)

朱色の客席は開演前の時刻とともに埋まり、
昨日とは異なり満席になった。会場の雰囲気も高揚してきた。ブザーが鳴り照明が段々と暗くなった。
オーケストラピットの右側から指揮者が入場。
スポットライトで指揮者の姿が浮かび、
会場から大きな拍手、鳴りやまぬ中タクトが降ろされ
導入曲が鳴り響き「メリーウィドー」の幕が上がった。
閑話休題、このオペレッタの内容を書き始めると
紙面がなくなるので割愛する。しかし、
「ハンナ・グラヴァリ」「ダニロ・ダニロビッチ」
「バレンシュエンヌ」「ロッション」等の主役陣、
書記役のニェーグス演技の素晴らしかったこと。
素晴らしい声、コーラスのハーモニー、ダンス、バレー等など
書き尽くせない。もう一つ、我々の坐った席が最高に良かった。というのは、主役達が客席から見て左袖で必ず演技するので手に取る様に観えた。このチケットを取って頂いた
WEBトラベルの方に感謝・感謝でした。
オペレッタも「メリーウィドーのワルツ」そして
ハッピーエンドで幕が降り、全員のカーテンコール、
主役級の一人ひとりのカーテンコール 鳴りやまぬ拍手の中、指揮者が登壇して再度全員のカーテンコール。
指揮者の合図でオーケストラピットの楽団員への拍手。
そして朱色のカーテンが閉じ、
緞帳が降りて観客が興奮冷めやらぬ状態で
フォルクスオパーの玄関を出ていく。
オペレッタを観劇している間に雨が降った様で
路面が濡れていた。そう云えばフォルクスオパー初来日の時の「メリーウィドー」の時も新宿厚生年金会館から
新宿駅まで観客が「ワルツ」を口ずさみながら歩いていたのを思い出した。妻の手を取り「ワルツ」をハミングしながら
路面電車の停留所まで歩いた。

路面電車が来たところで乗り、ウィーン大学前で降りた。カフェ「モーツアルト」の姉妹店カフェ「ラントマン」に入った。客席はほぼ埋まっておりウェーターに
個室まで案内して貰った。乾いた咽喉を潤すため
ビールとワインそして女性陣の飲み物を注文した。
ビールを直ぐ持ってきたので早速乾杯した。
それから一人ひとり、今日の演目「メリーウィドー」の感想や
今日までの旅の感想を語った。
誰もが異口同音で素晴らしい音楽、
そして素晴らしかった旅について話した。
また、今回の旅の機会を造った「玉田夫人にもこの感激を
味わせたかったなとの思い」をもった。料理とワインが運ばれ、改めて「ウィーンナオペレッタの旅」に乾杯して、美味しい料理とワインで話に花を咲かせた。身も心も満たされたので
カフェ「ラントマン」を出てリンクを渡り、ウィーン大学の通りに
出た。男4人で腕を組み「メリーウィドウのワルツ」を
口ずさみながらワルツのステップをしてホテルに向った。
ホテルの入り口で 明日のスケジュールを確認して各部屋に
別れた。心身とも心地よい疲れでベットに横になったら
翌朝になって曇天の朝、いつものように5時に眼が覚めた。

フォルクス庭園まで散歩してウィーンのバラの薫りを楽しんだ。8時にイケメンの能代さんがホテルのロビーで待っていた。
チェックアウトをしてトランクをワゴンに乗せウィーン西駅に
向った。ウィーン西駅の脇に教会の尖塔とドームが見えた。
駅の中は近代的なレイアウトになっており、瀟洒な花屋さんがあった。能代さんが我々の乗る列車のホームを確認して呼びに来てくれた。指定の車両まで誘導して頂きトランクを
荷物棚に詰め込んで頂いた。席はコンパートメントではなく
二人掛けで各夫婦バラバラになった。9時14分定刻、
能代さんは列車外の人となり、
赤い国際列車はザルツブルグ経由チューリッヒに一路走った。車窓からは田園風景が飛ぶように後ろに消えていった。
第3章 ザルツブルグにて
11時59分定刻にザルツブルク中央駅到着。
ホームに日本人男性の小山さんが待っていた。
小山さんの車にトランクを乗せホテルに向った。
小山さんは運転しながらマイクで注意事項やら町並みの
解説をした。流石になれている期待できるなとの思いをもった。ビールハウスやミラベル教会を過ぎ
NHザルツブルグ・シティホテルに到着。早速、小山さんの
指導でチェックイン、部屋のユーティリティの説明をして頂き、
そしてホーエンザルツブルグ城の夜の室内楽コンサート鑑賞券の予約について尋ねてきた。もちろん全員一致で賛成し、
予約をして頂いた。各部屋に入り荷物を降ろして、
小山さんの待つロビーに行った。
小山さんに市内の観光地図を渡され、
外国人が多いこと、特にゲトライデガッセ通りはスリが多いので注意するようにとの忠告をされた。昼食するレストランを紹介して貰い、小山さんとは明日の日程を打ち合わせて別れた。
地図を片手にザルツアッハ川に掛かるシュターツ橋を渡り、
旧市庁舎を右折してゲトライデガッセ通りにでた。
人通りは多く、観光客で溢れていた。両側には土産物店、
ファッションショップ、そしてモーツアルトの生家が並んでいた。約5分程行くとレストラン「STERNBRAU」の身印の看板が
右側に見えた。中庭に入ると樹木があり木漏れ日の下に
テーブルが並び食事を摂っている客がいた。
奥まった入口にいって待っていると女性のウェーターが席に
案内してくれた。早速オーダーがあり、
北川さんの提案で魚料理2種、トラウトのフライチップスと
ステーキそして野菜サラダ、 もちろん女性陣には
「ザルツブルガーノッケル」;チロルアルプスを象った名物の
スフレとドリンク、男性陣は、レストラン自家製の地ビールを
注文した。ドリンク、ビールが揃ったところで早速乾杯した。
料理が運ばれ遅い昼食を始めると、
隣の大広間からモーツアルトのバイオリンと
ピアノのためのソネットが聞こえてきた。
隣の大広間にはグランドピアノに赤いドレスを着た女性、
そしてモーツアルト風の赤いフロックコートを着た
中年の男性がバイオリンを弾いていた。
甘いメローディーが響く中、ビールと食事を堪能した。

満足したところで、チェックしてゲトライデガッセ通りを戻り、
レジデンツ広場に向った。広場の入り口には、
ギターを弾いている大道芸人やら、絵を描いているおじさん、
そして観光馬車が沢山並んで特有の臭いを醸し出していた。
ドーム広場に入ると正面に大聖堂、
後ろ側にフランチェスカーナ教会、左側にレジデンツ、
右側にも石造りの建物が囲んでいた。
大聖堂の中に入ると天井のドームから明るい日差しが
降り注ぎ、奥にある祭壇を浮き上がらせていた。
祭壇の左右にはパイプオルガンが配置されていた。
また左右に張り出しにも祭壇があり聖人の絵が描かれていた。目を入口側に向けると2階部分にヨーロッパ有数のパイプ
オルガンが窓から入る逆光の中に霞んでいた。
見学客は少なく静寂の中にゆっくりと鑑賞できた。

大聖堂を出て、ザンクト・ペーター教会に向う
途中の広場に約4mの金色の球の上に人が乗っている
パーフォーマンスがあり、その後ろに
ホーエンザルツブルグ城が聳えていた。右側には
ケーブルカーの線路が見えた。
また、水車小屋がありその横で教会関係者のための
パン工房があり香ばしい香りがしていた。その奥の断崖には
カタコンベがあり、その前には、花壇や墓石があり、
石像がたっていた。また、道路の反対側の壁にはバラが
今が盛りと咲いていた。ザンクト・ペーター教会に入ると
中は明るく、高い天井には天使の天井画は描かれ、
天窓からの明かりで浮き上がっていた。
その両側下には聖人たちの額が並んでいた。
奥に眼を移すと祭壇があり4人の金箔の聖人像、
その後ろにはイエスとマリアの昇天画が置かれていた。
手前の両翼には白い天蓋付きのバルコニーがシンメトリーに
配置され、厳かにも優美さを醸し出していた。
入り口側を観ると上段にはパイプオルガンが鎮座していた。
観光客も少なく、しっとりと落ち着いた気分で
教会の雰囲気を楽しむことができた。教会から一歩外に出るとネギ坊主が乗っている尖塔が目の前にあった。教会関係の
建物の横を通り過ぎると石造りの大きな建物があった。
階段の傍に1m程の写真の看板があり、
どこかで見た風景であった。
そうそう、サウンドオブミュージックの最後の場面「オーストリア地方の音楽祭でナチ兵士たちの沢山いる前でトラップ大佐の家族が、エーデルワイスを歌うシーン」の岩屋の会場であった。現在は、ザルツブルグ祝祭劇場として祝祭期間には多くの観客が集まる音楽ホールである。玉田氏と北川夫妻が奥の入り口(実は楽屋への入り口)から出てきて小生達を呼ぶので同行して中に入った。そこは、写真通りの会場で関係者が舞台と客席の準備を していた。客席にはプレゼントを入れた袋が
置かれていた。後日のセレモニーの準備をしていた関係者に見つかり表に誘導される一幕もあった。

コレーギエン教会を覗き、ケーブルカー乗り場に向った。
乗車券を見せたら、ドイツ語で未だ乗車時間に
なっていないのでだめと断られた。
周りの土産物店や琥珀の専門店等を見学、
そしてホーエンザルツブルグに登る階段の途中まで登り、
ザルツブルグの町並みを眺めた。
18時に大聖堂の傍らの鐘楼から時を告げる鐘の音が
鳴り響いた。ほぼ同時にあちらこちらの
教会の鐘楼からも呼応するように鐘の音がなり、
鐘のシンフォニーを楽しんだ。ケーブルカー乗り場に行き、ケーブルカーに乗車、きつい勾配を一気に上った。
そこは広場になっており、観光客がいた。
城壁から町並みを見下ろすことができた。
真下にはドーム、多くの教会、
そしてザルツアッハ川と架かる橋、
その向こう側に新市街とミラベル教会、
更に山並みと田園風景等が一望に臨めた。
更に城壁の階段を上り城内に入ろうとしたところ、
若干1名が高所恐怖症のため、遠回りして入る
組と別行動になった。城内に入ると、マリオネット劇場や
大砲が設置してある部屋、井戸がある部屋等があった。
一通り見終わって、レストランに向った。
準備中の様子で客はいなかったが、
ウェーターにチケットを見せるとザルツアッハ川が良く見える
テーブルに案内してくれた。一応フルコースのため、
ドリンクのメニューを持ってきた。ビールとワインと
女性陣のドリンクを頼んだ。ビールで乾杯、
乾いた咽喉を潤わせた。厳かに運ばれた料理に舌鼓み
を打った。食事中に外は夜の帳をゆっくりと降ろし景色は
薄暗くなった。最後のスイーツは青い皿に粉砂糖を
ト音記号に型抜きしたデザインしたところに
アイスクリームとチョコレートをトッピングした可愛らしいデザートでこの旅行の唯一のデナーを堪能した。
程良い腹具合とほろ酔い気分で、城の最上階の黄金の間(Goldenen Saal)に向った。前の間には正装した観光客や
ラフな格好の観光客が屯ろしていた。
案内されて黄金の間に入ると赤い椅子が5列約90席と
一寸高い舞台がありベーゼンドルファーのピアノが
置いてあった。バイオリン2名、ビオラ、チェロ、ピアニスト各1名のモーツアルト・アンサンブル・ザルツブルグの楽員が右手の扉から入場、拍手が鳴りやみ、ソロバイオリンの弓を降ろすのを合図に、演奏が始まった。ベートーベン、ハイドン、
シューベルトの室内楽、最後にモーツアルトの
アイネ・クライネ・ナハト・ムジークが、
そしてアンコール曲2曲が演奏された。幕間に窓辺から
ライトアップされた大聖堂や教会、旧市街、ザルツアッハ川の川面に揺れる明かり、遠くの町の光を見下ろすことができた。ゆったりした気分で城外にでると小雨が降っていた。
ケーブルカーで下に降り、
レジデンツ広場を過ぎようとしたところで、
湿りめの籠った馬糞の臭いが漂っていた。
ゲトライデガッセを抜け、ザルツアッハ川の橋を渡って
ホテルに戻った。ロビーでウィスキーを飲みながら、
明日の打ち合わせをして解散、風呂を浴びて
直ぐ、夢の中に・・・・。目が覚めると5時前、
隣の奥様も眼が覚めていて、同時に着替えをし、
ホテルを後にした。路上カフェの名残や商店のウィンドーを
横目にザンクト・アンドレー教会を過ぎ、ミラベル庭園に着いた。庭園からは、真っ正面に大聖堂と
レジデンツの建物群、そしてその上にホーエンザルツブルグ城が見えた。ペガサスの泉、芝生にベコニアの花壇、バラの垣根とバラが咲き乱れるバラ園、広い庭園を散策してから
ザルツアッハ川を渡り、旧市街に行った。馬洗い池を通り、
ゲトライデガッセ通りを抜けて橋を渡ってホテルに戻った。
ホテルの朝食は、プラハ、ウィーンで食べた
チーズよりシットリとして旨かった。
部屋に戻り山仕度をしてロビーに集合。
定刻9時前に小山さんの車が到着し、
手荷物を積み込み「さあ出発」
一般道から高速道に乗り、一路アルプス山岳道路に向った。所々の村や建物、土地についてマイク越しに説明して頂いた。空模様も、青空から薄曇り、そして厚い雲に移り変わってきた。また、高速道から山岳道路までの道筋の様相も2階の
バルコニーに赤い花のベコニアや花々を飾っている
大きな農家が点在していた。アルプス山岳道路の
ゲートに辿りついた時は東チロルアルプスの山々は
霧のベールに隠れていた。
ゲート脇のヒュッテ(お土産屋)で小休止。
我が妻は朱色のチロルハットを購入ご満悦であった。
いよいよ山岳道路、小山さんのドライブテクニックに
命を預け乗車した。山岳道路はつづら折りで左右の
ヘアピンカーブの連続、山襞に沿うように滝が
見え隠れしながら、峠の最高地点ホッホトーア2504mを
過ぎると下り坂、霧も薄くなり山の稜線がくっきりしてきた。
道路の脇には山小屋や小さな砂防ダム、
その上には雪渓があった。下り坂の屈曲点まで来ると
遠くの谷間に教会がある小さな村が見えた
(村の名はハイリゲンブルート?)。
氷河のある谷に沿って登り坂になり、最終点の
フランツ・ヨーゼフ・ヘーエに到着した。

車を降りると外は涼しく、ウィンドブレカーでは
若干寒さを感じた。展望台の案内板には
グロ-スグロックナーの山並みの写真と、
氷河の写真が掲示されていた。氷河は、かなり後退しており所々に小さな氷河湖ができていた。
小山さんの先導でハイキング道路の隧道を二つ過ぎ、
野生動物が居る所に案内して頂いた。
なかなか見つからないので、
ウィーンのホテルから持ってきたリンゴの食いかじった芯を
道端の下側に投げると、可愛らしい動物が出てきたマーモットであった。記念写真をパチリ。残念ながら小生のカメラは電池切れで残念。昼食はカフェテリア方式で各自調達、
もちろん、ビールとソーセージとパン、
妻はイチゴと生クリームのクレープを注文。
お膳を持って、サンデッキのあるテラス席に移動。
他の夫妻は、室内の窓際に陣取った。氷河と雪山を見ながらの昼食、映画やテレビで見るヨーロッパアルプスのリゾートに
居るんだと実感を噛みしめながらソーセージを食べた。氷河の最後部に掛かっていた霧は徐々に晴れ上がり山頂が見えた。グロ-スグロックナーの山頂と思ったが、実は3480mのJohanunisberg山でグロースグロックナーは左側で恥ずかしがって霧のベールで山容を隠したままであった。
サンデッキでの素敵な昼食を終え、アルプス展示館と土産物店を一通り見学してから、小山さんの車に乗車し、
帰路に着いた。来る時は霧に隠れていた山容も見え、
谷間の教会のある村もすっきり見えた。
峠を越え途中のヒュッテ風土産物店で一時休止し、
馬糞が点

水田 壮彦 wrote:

この度はご利用ありがとうございました。

東日本大震災の被害が激しかった地域に
お住まいにも関わらず、
今回、ご旅行いただけたことは
本当に感謝の気持ちでいっぱいでございます。

日本全体がまだまだ落ち着かない時期に
心休まるひと時をお過ごしいただけて、
うれしい限りでございます。

本当にありがとうございました。
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