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お客様からのお便り

担当コンシェルジュ : 佐藤 雅美
【2014年8月2日[Sat] ご出発】 海外

H様/墓参 シドニー・カウラ7日間

佐藤様

一昨日、予定通り帰国しました。
万事、ご手配通りで順調に旅を続けることができました。

カウラでは朝晩0度に近い日もありましたが、好天にめぐまれ、
暑い日本から離れて快適に過ごすことができました。
往路はビジネスにアップグレードして頂いたので、ゆっくり横になって寝ることができました。

レンタカーもアップグレードされ、より大きな車になったので
4時間強のドライブも比較的らくにこなすことができました。
ただ、ナビは使いにくいので、結局持参のiPhoneのマップのナビを使い
日本語の指示で大変わかりやすくカウラまで行くことができ、
また帰りにはブルーマウンテンにも寄って雄大な景色を堪能することができました。

カウラでは70周年記念ということで大使を始めシドニーの日本人会も
バスを仕立てて来ていたので結構日本人が集まっていました。

当方は、ニューギニアで戦死したと政府公報で連絡をうけたままであった家内の伯父が、
別の収容所で病死しカウラの日本人墓地に移され埋葬されていることを、
今年の2月、70年を経過して初めて知り、カウラ事件とは直接関係ないのですが、
この機会の墓参をすることとしたものです。

行ってみて、伯父のように家族にも知らされず70年もの長い間、
カウラでひっそりと埋葬されている方々の墓の様子をみると心にこみ上げるものがあり、
一方で奇跡的に今回墓参ができたことに、感謝している次第です。

ただ、70年の間に兄弟は、ニューギニアの奥地で骨になって埋もれたままと信じて
死んでしまったので、もし墓参ができたら、どんなにか心安らかであっただろうと思うと、
日本政府の対応には不満を感じるところです。

今回無事に、個人ベースでカウラまで行って目的を果たすことができたのも、
佐藤様のご手配のおかげと感謝しております。

今回、カウラ市長と面談して分骨のお願いをしてきましたので、
また何度か訪問する必要があると思います。
その時は、またお願いしたいと考えています。
よろしくお願いします。

HM

P.S. シドニーのホテルはもう少しグレードアップしてもらった方が良かったかな….

佐藤 雅美 wrote:

H様

こんにちは、ウェブトラベルの佐藤雅美です。
そして、改めてお帰りなさいませ。

順調に旅を終えられたようで、ホッとしております。
往路はビジネスクラスにアップグレードされたのですか??
とてもラッキーでしたね!!
最近のビジネスクラスのシートは、完全なフルフラットになりますから、
往路は夜行便でしたしゆっくりお休みになれたようでうれしく思います。

レンタカーもアップグレードなんて、素晴らしい♪

ホテルは…次回はもっといいホテルをご提案しますね(>_<)

実は、7月にバサースト~リスゴーあたりで雪が降って通行止めになったときがあって、
H様の時に降らないかととても心配していまして、団体さんのバスに乗せてもらえないかと
取りまとめをしていらっしゃった方と連絡を取ったりもしていたのですが、
天気予報を見て雪はまず降らなそうだったので、安心していました。

今回は奥様の伯父様の墓参だったのですね。
ご年齢からお父様の墓参ではないと思っていたのですが、そうだったのですね。

ニューギニアで捕虜になった方は、飢餓地獄や漂流地獄を生き抜いた方が
ほとんどと聞いておりますので、伯父様もきっと九死に一生を得て
オーストラリアへたどり着かれたのでしょうね。
オーストラリア軍は、ジュネーブ条約に沿って捕虜を厚遇したそうですので、
伯父様は別の収容所で残念ながら病死されたとのことですが、きっと十分な医療措置を
してもらえたと思います。

分骨についても承諾をしていただけたのですね。
伯父様もきっと望郷の念を抱きながら亡くなられたと思いますので、
日本に帰れる日が早く来ることを願います。
いつでもお声掛けくださいネ。

その日まで、お元気でお過ごしください。
このたびは、大切な墓参のお手伝いをさせていただきありがとうございました。
私もやりがいのあるお手配でした。重ねてありがとうございました。

ウェブトラベル トラベルコンシェルジュ
佐藤 雅美


***太平洋戦争 オーストラリアと日本***
太平洋戦争の際、オーストラリアは連合国として参戦しましたので、日本にとって敵国でした。
オーストラリア北部のダーウィン港は、連合軍の基地として使用されていたため、
日本軍による空爆を受けた経験もありますし、シドニー湾には、日本の特殊潜航艇が潜入し、
魚雷を発射して被害をもたらしました。
その他、ブルームなどいくつかの都市も日本軍の空爆を受けています。

南方戦線で捕虜になった日本兵は、オーストラリアの収容所へ送還されることが多く、
オーストラリア軍は、ジュネーブ条約に沿って捕虜を厚遇したそうです。
今では友好関係にある日本とオーストラリアにも過去には、こういった歴史もありました。
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