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コンシェルジュブログ

コンシェルジュ : 細谷 健一
【2006年2月20日[Mon]】

素顔のフィリピン~PAL・人々の夢を乗せて

はじめに、レイテ島での土砂災害で亡くなられた方のご冥福と、行方不明の方々が一刻もはやく救助されることを祈ります。



成田空港出発ロビー、ガムテープでグルグル巻きにされた大きなダンボールと日清のカップラーメン・シーフード味を数箱抱え、カウンターを取り囲むように長い列を作り搭乗手続を待っている人達を見たことはないだろうか?これはフィリピン航空(以下PAL)の搭乗手続きが始まる午前7時ころから見られ、殆どは結婚や仕事で滞在している方の帰省の様子だ。フィリピンでもカップラーメンは売られているのだが、日本のカップラーメン、特にシーフードは本場の味としてかなり人気が高く、おそらく電化製品を抑え日本のお土産№1ではないだろうか。さて、フィリピン人の帰省と言えば海外で働く、いわゆる出稼ぎ労働者が多く、日本や欧米などの先進国、またアジアやアラブ諸国などを含め、全体で90万人に上る。そして彼らから国内に送金される外貨は、貿易収支を遥かに上回る為か政府も海外出稼ぎを後押ししている状況だ。国内で働く場所が少ないこともあるのだろうが、受け入れをしている国の殆どは、彼らの語学能力や教育水準の高さに加え、陽気で明るいホスピタリティーを高く評価しており、その職種も多岐にわたる。日本ではエンターティナーという職業での来日が多い為、フィリピンに持つイメージはさまざまだが、地元では技術者として大手メーカーの工場で勤務している人も多いし、某大手クルーズ客船会社ではスチュワーデスの殆どがフィリピン人でもある。このように日本国内においても、さまざまな分野で活躍されているのが現状だ。
そんな分けで、マニラ行きの機内は久しぶりの我が家へと帰る方々の利用が多く、子供も多いので、アテンダントさんは通常のサービスに加え子供の遊び相手と、他の航空会社では見られないアットホームな光景が到着間際まで続く。
反対にマニラから日本へと飛び立つ機内は少し違う。日本で待つ家族の元へ帰る人、出稼ぎで日本へ行く人など。往路とは明らかに違う雰囲気、機内はとても静かだ。10数年前の事だが、マニラから東京へ向かう便、僕の隣のシート座った女性が離陸と同時に泣き出した。どうしたのか聞いてみると、もう直ぐクリスマスなのに家族と離れ、海外へ出なければならないことが耐えられなかったというのだ。初めての海外出稼ぎ、希望と不安・・、離陸と同時に不安が一気に出てしまったのだろう。その後気を取り直し、到着したころには元気に飛行機を降りていった。
一方、その頃のマニラ線を利用する日本人といえば、強面のオジサンが目立ったが、今では女性グループやファミリーの姿が多く、セブへの直行便ともなると、なおさらその傾向は大きい(大分変わったものだ)。僕もPALをよく利用するのだが、他のキャリアに比べ、ディレイト(遅延)が多く、せめて国際線くらいは時間通りに飛んでもらいたいと願っている。
『フィリピン航空は何でPALと呼ばれているか分るか?』以前、こんなことをセブの友人に聞かれたことがある。『PHILIPPINE AIR LINESの頭文字に決まっているだろう』と答えた僕に、彼は笑いながら言った『PAL ALWAYS LATEだよ!』
なるほど、これは面白い!PALの体質をうまく捻くったジョークだったが、帰りの機内で愛想良く話しかけてくれたアテンダントさんに、この話をしたところ、成田到着まで二度と僕のところへは着てくれなくなった。(悪気はなかったのだが…)
アジアで最初のエアーラインとして1941年に設立されたPALだが、労使交渉のもつれから57年の長き歴史に終止符を打ち、世界の空から消えてしまったのはその数週間後だった。PAL倒産!
しかしながらその数ヶ月後、PALは不死鳥のごとく甦り、何事もなかったように、再び世界の空を飛び始めた。機内ではアテンダントさん達の陽気なフィリピンスマイルも健在だった。まあ、なんとも不思議な会社だが、今日も多くの人の夢を乗せて世界の空を飛んでいる。
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