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コンシェルジュブログ

コンシェルジュ : 末松 実千代
【2012年12月10日[Mon]】 海外

アウシュヴィッツ・ビルケナウ-ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)-

アウシュヴィッツはドイツ語読みで、現地での地名は「オシフィエンチム」です。
最寄の駅の名前も「オシフィエンチム」です。

英語のガイドツアーに参加し、アウシュヴィッツ→ビルケナウの順に見学をしました。

教科書等でよく見るアウシュ                    ヴィッツ強制収容所の入り                     口。「働けば自由になる」と                     書かれた門です。






入ってすぐ右手のキッチン前のスペースには、弦楽奏者を配置して、音楽を奏でながら収容者を迎える事もあったようで、演奏者の写真パネルがありました。なんだかとても切ないです・・。


28棟ある囚人棟のうち、4号棟からガイドさんの説明と共に巡ります。各囚人棟は石造りの2階建てです。


ガス室での大量殺人に使われた
劇薬「チクロンB」の使用済み缶。



このあたりから、ツアー参加者の表情も暗くなります。






シャワー室(実はガス室)に入る前に預けた荷物・・後で手元に戻る時の為に、名前や住所を大きく書き残したのだそうです。



銃殺に使われた「死の壁」に手を合わせた後、死のブロックを呼ばれる11号棟へ。飢餓室やコルベ神父も入れられた立ち牢など、悲しい設備が続きます。あまりに酷い光景に、参加者は皆無口です。


ガス室に隣接した焼却場。
3台の炉を備え、1日に
350体を焼却していた
そうです。






・・実は、焼却場やガス室内部も写真撮影は可能なのですが、1度に沢山の命が奪われた場所だと思うと、シャッターが切れませんでした。すいません・・。

インフォメーションセンターで、15分ほど休憩した後、2キロ離れたビルケナウに向かいました。



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ビルケナウ・・現地での地名は「ブジェジンカ」です。

300棟以上のバラックが並んでいた、アウシュヴィッツの10倍以上の規模の収容所です。





こちらの施設は、死の門をくぐって鉄道の引込み線が真っ直ぐ敷地内に入り込んでいます。数百メートル先で線路は尽きていますが、列車が止まったその場で収容者は降ろされ、ガス室行きと強制労働施設行きに選別されました。





バラックのほとんどは大量虐殺の事実を隠そうとしたドイツ軍に壊されましたが、いくつかのバラックが残っており、内部見学が出来ました。いずれも、アウシュヴィッツの囚人棟と比べると、足元は地面がむき出しで粗末な造りです。



バラックのベッド・・この木枠  
の中に藁をしき、一つの枠に
8人が押し込められたそうです。







ビルケナウのガス室や焼却場は破壊され、建物跡が残るだけでした。跡の近くには大きな国際慰霊碑が建ってました。

私たち大人のガイドツアーの他に、沢山の子供達の社会科見学のグループを見かけました。日本の広島平和記念碑(原爆ドーム)と同様に、「負の遺産」として世界遺産に登録されたこの物件が、人間が犯した過ちを次世代に伝えていく、、という大きな役割を実感できた1日でした。




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