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ピックアップ特集

トラベルガイド
プラン1 緑あふれる首都、アスンシオン

パラグアイへは、現在、日本からの直行便が無く、ブラジルのサンパウロやアルゼンチンのブエノスアイレスを経由して入るのが一般的です。

首都アスンシオンは南米の他国の首都と比べ、穏やかで、どことなくゆっくりした雰囲気です。
アスンシオンは、16世紀にパラグアイ川をさかのぼって来たスペイン人によって造られ、スペインの南米入植の拠点として発展しました。
ここから南米各地に旅立った入植者が、ブエノスアイレスやサンタクルスなど新しい街を造ったことから、アスンシオンは別名「諸都市の母」とも呼ばれ、古い歴史を持っています。

市内の見どころとしては、ベルサイユ宮殿をモデルに作られた大統領府や、国の英雄を供養するパンテオン、大聖堂、独立の家など、いろいろなスポットがあります。
また、郊外にあるランバレの丘からは、緑に囲まれた街とパラグアイ川、そして対岸に広がるアルゼンチンの大地を見渡せます。

アスンシオンの街は木が多く、高いところから見下ろすと、まるで森の中に街があるよう。
南半球のパラグアイは今が真夏で、昼間は連日35℃を越える暑さですが、木陰に入るとホッとします。湿気が少なく、日本の真夏よりは過ごしやすく感じました。

パラグアイの地形の特徴は山が少なく、どこまでも平らなこと。アスンシオン市内でも、ちょっと高い建物に上れば地平線を望め、南米大陸の真ん中にいることが実感できます。


パラグアイ土産で有名なのが、蜘蛛の巣のように美しく施された手編みレース「ニャンドゥティ」。
時間があれば、アスンシオンから車で1時間、「ニャンドゥティ」作りが盛んなイタグアや、陶器の町・アレグアなど、近郊へ足を伸ばすのもお勧めです。

また、アスンシオンの隣町、国際空港のあるルケは銀細工で有名で、空港への道沿いにある南米サッカー連盟本部ビルは、サッカーファンなら要チェックです。

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プラン2 世界遺産トリニダー遺跡&世界一のイタイプー・ダム

パラグアイ南部のエンカルナシオン近郊にある、世界遺産「トリニダー遺跡」。
17世紀にヨーロッパからキリスト教の布教にやってきたイエズス会宣教師は、今のパラグアイ、アルゼンチン、ブラジルにまたがる地域で、多くのミッション(教化集落)を建設し、先住民族・グアラニー族と共同生活を送りました。

最盛期には約30箇所のミッションがあり、およそ12万人が暮らしていたと言われています。各ミッションごとに特産品を作り、出版も行われるなど活気に満ちていましたが、その後衰退し、多くは失われてしまいました。
その経緯は、ロバート・デ・ニーロ主演の映画「ミッション」のモチーフにもなっています。


1706年建設のトリニダー遺跡は、パラグアイで最後のイエズス会ミッションです。
国道から数km入った村の隣に、赤レンガ造りの大聖堂や多くの住居、学校、工房などが残されています。保存状態も良く、当時の繁栄を偲ばせます。

トリニダーは世界遺産とはいえ、訪れる観光客はまだ少なく、静かに見学できるのが嬉しいところ。

緑の中に眠る遺跡を歩きながら、宣教師と先住民族が共に暮らしたユートピアに、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


パラグアイの電力は、100%が自然エネルギー。
その大部分を生み出しているのが、ブラジルとの国境のパラナ川に造られた世界一の水力発電所、イタイプー・ダムです。

イタイプー・ダムのスケールは、全てが桁外れ。ダム全長は約8km、高さは196mあり、貯水量は日本最大の岐阜県・徳山ダムの44倍の290億立方m。20の発電機が備え付けられ、その発電能力は1,400万KW。3年前、中国の三峡ダムに発電能力では抜かれましたが、年間発電量実績では世界一の座を守っています。



ダムはパラグアイとブラジルが共同で管理し、作った電気も半分ずつ分け合っていますが、人口の少ないパラグアイでは取り分の1割しか使い切れず、残りはブラジルへ売電。その収入は国の大事な財源になっています。

ダムはシウダー・デル・エステの北にあり、ガイドツアー(スペイン語)で見学できます。イグアスの滝からも近いので、時間の余裕がある方は、ぜひもう1泊し、足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
大瀑布の自然美と、人間のテクノロジー、その両方を堪能できることでしょう。




パラグアイ人の暮らしと切っても切り離せないのが、国民的ドリンク「テレレ」。 南米原産の植物「ジェルバマテ」の葉や小枝を乾燥させてお茶にしたものを「マテ茶」と呼び、これを冷水で淹れたものが「テレレ」です。 マテ以外に薬草を入れるのも盛んで、街角でいろんな薬草を刻んで売っている薬草屋さんをよく見かけます。

「テレレ」は暑いパラグアイでは欠かせない飲み物で、日本人にとってのお茶のように、家事や仕事の合間に一服するのが定番です。お出かけには、専用のカップ「グアンパ」と「ボンビージャ」と呼ばれるストロー、そして冷水を入れた大きな水筒を、セットにして持ち歩きます。

街中でも、テレレセットを抱えて歩いている人の姿は当たり前で、バスの運転手も信号待ちの合間に一服。涼しい木陰で、仲間同士で「テレレ」を回し飲みしながら、ゆっくりおしゃべりするのが、パラグアイ流です。

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プラン3 “地球の反対側のニッポン”日本人移住地

パラグアイと日本との関わりは深く、初めて日本からの集団移住が行われたのは70年余り前。
初期の移住者の方々は、慣れない環境の中、森を切り開き、大変な苦労があったと聞きます。

今も各地に日本人移住地があり、その一つが、東部にあるイグアス移住地。日本人約200世帯が暮らし、主に大豆の栽培が行われています。
農家の平均作付け面積は約200ha、東京ドームが40個は入る広さというから驚きです。

ここには、街づくり全般を担う「日本人会」や、日本食が食べられるレストラン、大きな鳥居まであり、どこか懐かしい日本の田舎を思わせます。
スーパーで買物中のおばさま方も、日本語で楽しく井戸端会議。子供達は日本語とスペイン語を勉強し、日本人としてのアイデンティティーもしっかりと受け継がれています。地球の反対側にある、もうひとつの日本です。


そして町を出ると、広がるのは果てしない大豆畑と地平線。
日本からの移住者はパラグアイで大豆栽培を広め、今や世界有数の大豆輸出国になるなど、特に農業で大きな貢献をしてきました。

そのため、パラグアイでは日本人といえば勤勉で誠実なイメージが定着し、おかげで日本からの旅人も、気持ち良く旅することができます。
でも、それは移住者の方々が長年に渡り、築き上げてきたものだということは、決して忘れないようにしたいものです。

パラグアイのレポート、いかがでしたか?
日本から見ると地球の反対側ですが、実は想像以上に身近な国でした。
もし今度、南米旅行に行かれるときには、遠くて近いこの国にも、ぜひお立ち寄りください。

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