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抜けるような青空と、建物の青いタイル、砂色をした壁の対比がとても美しい、古都サマルカンド。古来シルクロード・中央アジアルートの要衝として栄えました。アレキサンダー大王の東方遠征時には最後まで抵抗し、三蔵法師も天竺への旅の途中にここを訪れています。13世紀にモンゴル軍の攻撃で跡形も無く破壊されましたが、14世紀末~15世紀にかけて、英雄ティムールが築いたティムール帝国の都として新たに繁栄の時代を迎えました。
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支配者の墓という意味の「グル・アミール廟」(左写真上)には、ティムールとその家族をはじめ、教師や聖人も眠っています。外部の青タイルと幾何学模様、内部の金箔装飾も素晴らしく、夜ライトアップされた姿も幻想的です。
モンゴル軍による破壊以前にサマルカンドの町があったアフラシャブの丘の一角には、「シャーヒ・ズィンダ(生ける王)」(左写真中)という霊廟群があり、ティムール朝ゆかりの人々の霊廟が左右に立ち並び、ウズベキスタンでは巡礼地の一つとなっています。この建物群も青いタイル装飾が美しく、往時の繁栄を今に伝えています。
イスラムの暦は太陰暦ですが、ティムールの孫ウルグ・ベクは、天文観測により太陽暦(1年が365日6時間10分8秒)を割り出しましたが、これは現在の計測と1分も誤差が無いというのですから驚きです。このウルグ・ベク天文台跡(左写真下)も修復されていますので、ぜひ一見を!
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ブハラは、サマルカンドの西方約220km。町の名はサンスクリット語で僧院を表す「ヴィハーラー」に由来しているといわれ、ザラフシャン川の下流にあるオアシス都市として、古代からサマルカンドと並ぶ、ソグディアナ(ソグド商人が住む土地)の中心でした。モンゴル軍の襲撃とその後のティムール帝国の隆盛により一時は衰えたものの、16世紀以降ブハラ・ハン国の首都として、商業はもちろん、イスラム神学校も多く建てられ、宗教的・文化的な中心としても、大いに栄えた町です。青タイルが美しい、「ミル・アラブのメドレセ」は現役の神学校で、約100名の学生がイスラム教、コーラン、アラビア語を学んでいます。
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ブハラの商業都市たる特徴を色濃く残しているのが「タキ」と呼ばれるバザール跡。修復されて今も使われているタキは「タキ・サラファン(両替商)」、「タキ・ザルガラン(宝石商)」、「タキ・テルパクフルシャン(帽子屋)」と舌をかみそうな3つ。入口は、荷を積んだラクダが入れるように高く、天井も明り取りと風通しのための小窓がたくさん。大きなドームの廻りに小ドームがいくつも連なります。現在はお土産店となっていますが、直射日光を避け、ひんやりとした、ほの明るいスペースに入ると、キャラバンが行き来した時代の雰囲気が感じられるような気がします。ウズベキスタンの伝統的な刺繍「スザニ」や、草木染の織物、民族衣装や帽子・靴、木彫り細工、金物や陶器などを見て廻るのも楽しいですよ。
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サマルカンドから西方へ、ブハラ、ヒヴァ(ウルゲンチ)へと、陸路で移動すると、古(いにしえ)のシルクロードを辿っている気分が味わえます。オアシス都市をつなぐのは、わずかな草が生えるのみで、砂埃が舞う土漠。現代では、灌漑技術が進み、小麦や綿花が栽培されているエリアが見られますが、ほとんどは荒地の中の一本道を走ります。こういった景色の中を何日もラクダで進み、遠くにオアシスの緑が見えた時の嬉しさは、ひとしおだった事でしょうね。左の写真に見える川は、「アムダリヤ川」で、昔はアラル海に注いでいましたが、今では河口は干上がってしまっているそうです。
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さて、お待ちかね。ウズベキスタンの食事は、さすがシルクロードといいますか、東西交易の名残りが感じられて、本当に興味深いです。バザールに売られているのは、西瓜やメロン(黄色い小ぶりのもの)や杏などの果物、野菜(胡瓜とは字のごとし!)、各種香辛料。丸くて薄いナンのようなパンや、ラグマンと呼ばれる「うどん」、蒸し餃子のようなマントゥなど、小麦文化なのかと思えば、プロフ(ピラフですね)といったお米料理もあり。また、内陸かつイスラム教国のため、羊肉がメイン。串焼きからミートボールまで、ほとんど羊なので、苦手な向きにはツライかもしれませんが、都会のホテルでは鶏肉なども用意があります。アルコールは、ソビエト時代の影響を受けてか、ウォッカやビール、ワインも広く飲まれています。
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