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藩校を訪ねて

藩校(はんこう)とは、江戸時代後期に諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校で、200年以上経過している現在も複数保存されています。藩校や周辺の地を巡って、近代学問の興隆を感じるアカデミックな旅に出ましょう。今回は東北・北関東を巡ります。

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荘内藩校 致道館(しょうないはんこう ちどうかん)
200年間厳しい風雪に耐えた、東北地方に現存する唯一の藩校
荘内藩校 致道館(しょうないはんこう ちどうかん)
山形県の海沿いの城下町、鶴岡市にある致道館は、庄内藩酒井家9代忠徳(ただあり)が退廃した藩の雰囲気を刷新して藩政の振興を図るために文化2年(1805)に創設した藩校です。 明治6(1873)年の廃校に至るまでのおよそ70年間、庄内藩の学問の中心となった致道館は国の指定史跡となっており、聖廟や講堂、複数の御門が残されています。 他にも数々の学舎や武術稽古所、さらには矢場や馬場まであったとされ、当時の間取りが平面展示されています。
會津藩校 日新館(あいづはんこう にっしんかん)
絵付けも座禅も武道も宿泊もでき、現在も「日々新たに学べる」藩校
會津藩校 日新館(あいづはんこう にっしんかん)
18世紀後半の天明の大飢饉を経験し、また長い平和の時代を経て藩政や道徳が退廃していた会津藩において、会津藩5代藩主・松平容頌(かたのぶ)の時代に藩政改革の中心に「教育の振興」をあげ、享和3(1803)年に完成、その後幕末を彩る白虎隊の少年たちをはじめとする優秀な人材を輩出したのが藩校・日新館です。 現在は当時を再現した建物が並び、赤べこ絵付け体験や道場の利用・宿泊までできて、現在も「学び舎」として活用されています。
水戸藩校 弘道館(みとはんこう こうどうかん)
徳川のお殿様のこだわりが詰まった、日本最大規模の藩校
水戸藩校 弘道館(みとはんこう こうどうかん)
「水戸黄門」でもおなじみの水戸藩。 幕末の史実にも登場する9代藩主・徳川斉昭(なりあき)が混乱と困窮した藩財政の立て直しを図って藩政改革を推し進め、安政4(1857)年に開校したのが弘道館です。 幕末の世で「攘夷」を叫び、短気な性格で「烈公」と呼ばれたほど意思を曲げない性格の斉昭は教育を近代化への中心施策だと考え、ここ弘道館で元服した者を対象に、卒業制度のない「生涯教育」を施しました。 正庁や正門、至善堂が残されて国の重要文化財に指定され、焼失した建物の跡地は見事な梅園となっています。

藩校が設置されたそれぞれの地で独自に発展を遂げた城下町をご紹介します。
トラベルコンシェルジュ 浦野 泉
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城下町だけど……クラゲ??

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難攻不落の理由は石垣にあり! 会津若松・鶴ケ城

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梅と納豆だけじゃない! 北関東の徳川家のお膝元

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